神林村塩谷(現、村上市)の荒川河口から山形県米沢市を往来する道を「越後米沢街道」と呼ばれました。特に県境は山並みが続き険しい十三の峠を越えなけれ ば成らない難所でしたと又 ごぜ街道ともいわれ大勢のごぜさんの往来もあったと聞きました、あまりの険しさで峠で犠牲になられた方も居られたそうです。 今では峠が整備され歴史探訪の道となり”いにしえの敷石道”とされ楽しまれてます。
関川村では県境の大里峠が舞台の大蛇伝説が語り継がれ、今では8.28水害の追悼と大蛇伝説をテ−マにした、全国的に有名な「大したもん蛇まつり」が村あげて行なわれている。又 この度撮影するに当り地元の多くの方にお尋ねすると炭焼きの忠蔵の退治した大蛇を妻”おりの”が全部食べて”おりの”が大蛇に化身したとあるが”おりの” さんは実在の人で自分を身売りして家族や村に寄進した素晴らしい人なんですが可愛そうですね!蛇喰集落では碑を建て苦労を労ってると言う。更に自分を犠牲 にして迄も村を救った”蔵市”は其の後下関の大蔵神社に祀られて居るそうな。すると現実に目を向けるといにしえの昔から山多き地域から水害が何度も発生犠 牲者が出た昔の人は山の祟りだ大蛇が出たとして水害の恐ろしさを表現したのだろ-、峠で琵琶を奏でていた蔵市は天候の急変に気がつき一目散に村に知らせに 駆け下りたそして息絶えた、村人は鉄の杭を何本も打ちつけたは頑丈な堤防を造り洪水を防ぐ事が出来た、洪水を大蛇に置き換えて水の恐ろしさを伝え後世に残 そうとしたのかも知れない。今年最後の「夜の東桂苑と大蛇伝説紙芝居」に伺った邸内はすっかり落葉し黄色いジュ−タン模様、夕方から雷雨だが宿泊者やまか ないさんが芸妓さんの地元の踊りや忠蔵さんに扮した「せきかわ笑楽会、川又氏」が迫力ある語りをされ観客は温かい部屋で楽しみました。
ここ関川温泉郷は景観が良く川の流れが緩やかです、川のせせらぎを、静かな宿を求めて都会からお出でになるそうな、夜の繁華街はないが静かな温 泉宿の夏は蛍見物、花火、紙芝居。 秋は囲炉裏を囲み談笑そして踊りに紙芝居みてそして静かに村の夜が更けて行く。此処だけ過去へタイムスリップかなと思 う 撮影者FUJI
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