- 此処、千町歩地主、越後蒲原豪農「原、田巻邸」は紫陽花で有名な田上、護摩堂山の麓に位置する。
「椿寿荘」は邸内の「離れ座敷」として、富山井波、日本三大宮大工名人「松井角平氏」は銘木を集め釘1本も使わないで、京都の庭師「広瀬万次郎」氏は自然の樹木を生かし深山幽玄を表現した「枯山水」を玄関衝立の”能”絵はどの角度からでも見る人に向く等全てに拘りを持ち大正3年〜7年に3年半の年月と7万2千円の巨額をかけ贅の限りを尽して七代目「堅太郎」氏が 小作人救済策として建築したもので有るとの事
いつの世も不況は有る、此処「田巻家」地主の道楽も小作人が不況の煽り困窮してるを見かね当時、三条の「本成寺」再建に来てた松井氏に私は「私利私欲での建築で無く、不況に喘ぐ小作人に仕事を与える為で有るから、何年かけても良い、出来るだけ豪華に、人扶は必ず小作人を使って欲しいと懇願した」との記述がある。
小作人は大八車を引き全国各地に買い付けに出発した、その折には充分過ぎる程の握り飯、漬物を積み込ませて送り出した、誠に心温かい人で有ったと伝えられている。
地主の道楽はこの「椿寿荘」は生涯に数回しか使われて居ないと聞く、自分の道楽の為に?まさに贅沢と人は言うだろう。
然し、この贅沢が2794人の小作人が救われたなら、素晴らしい「輝きを放す館」で有ると思う。
そう言えば嫁ぎ先「関川村、渡邉邸」の家訓に「よるべのない人を救済したいものだ」を思い出した。
此方の撮影にとても楽しめた訳は畳廊下、”敷石”になんと”履物”が有り「枯山水の庭」に”散策”が出来るんですね、
座敷からの庭も良し、庭から建物の撮影も良し、「奥次の間」から”ギヤマンガラス戸”越に見る真紅のモミジ、
縁側より観る銀杏の黄、モミジの赤の彩りの大河は圧巻です気づいたら数百枚の撮影、あ〜デジカメで良かったの瞬間でした。
帰りしなに館長さん”今日の撮っておき案内しましょう”と上段の間の畳の縁を中心に座り静かに障子戸を閉められ
僅かな隙間を創り「枯山水、五重の塔」”障子掛け軸”の演出をされました、暫し見惚れ夢中でシャッタ−を切る、雪模様も又格別ですよで、再来をお約束しました。
館長さんの楽しいお話、売店の方の心温まるお接待で楽しい一日撮影でした、
有難う御座いました。
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