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「愛・義」巡り会いまつり
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奥胎内
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水原常陸介親憲 復活祭

 

2012.10.28 撮影

「愛・義」阿賀野市巡り会いまつり に続き名称を改めて開催。
10月28日 水原総合体育館で開催されました
当日は風が強く小雨交じりの生憎の天気でしたが、体育館内での開催です
さすがにお客様の出足はイマイチでしたが、、ご覧ください

 

阿賀野市 水原常陸介親憲 復活祭

水原 親憲(すいばら ちかのり)は、戦国時代から江戸時代前期の武将で、上杉氏の重臣。
慶長3年(1598年)に景勝が会津へ移封されると、猪苗代城代に任じられ、5,500石の知行を与えられた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは慶長出羽合戦に参加して最上義光と戦い、長谷堂城からの撤退戦では鉄砲隊200名を率いて、追撃してくる最上勢に痛手を与え、上杉軍の撤退を成功させた。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、鴫野の戦いで鉄砲隊を率いて大いに活躍し、将軍・徳川秀忠から感状を賜ったが、親憲は「子供の石合戦ごときのような戦で、感状を賜ることになるとは」と言い放ったという。これは関ヶ原の戦いでは徳川との戦を主導しておきながら、戦で嫡男・景明に感状を貰おうと躍起になっていた執政・直江兼続を皮肉ったものと言われる。なお、この感状は祐筆の書き間違いで、宛名が「杉原常陸介」となっていた。親憲はこれに気づいていたが、将軍家からの感状であるのでそのまま戴いて異議を申し上げず、その後は姓を「杉原」に改めている(読みは「すいばら」のままである)。

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