山むらさきに輝くとき
----- はちこくぼたんの再生を願って-----
昭和30年代、小国町八王子に在住していた当時、春の山菜とりに行き、はちこくぼたん(シラネアオイ)の見事な群生地に出会いました。
シラネアオイは、白根山で見つかり、高山系の植物と聞いていましたが、518メートル級の八石山に群生しているとは、・・・・・・・・しかも 斜面いっぱいに咲きほこっている数の多いこと、そのときの感動は今も脳裡に深く焼きついて忘れることができません。
八石山は、まさに輝いていました。
最近は、雪割草やサクラソウ等、山野草ブームによる乱獲や土地開発の波で、自生地が荒らされ、絶滅の危機にさらされています。近い将来、八石山のシラネアオイも、その姿が消えていくのではないかと危ぶまれています。現に、山菜とりの折、満開の群生地を訪れ、写真に収めているのですが、年々その数が減り、乱獲の跡が見られ、心を痛めています。
わたくしどもは、職業柄、転勤によってやむなく村を離れ長岡に移り住みましたが、生まれ育った故郷、八石山の植物への愛着をもっております。
退職後の生きがいに、「長岡馬高山草会」に入り、同じ趣味の草友だちと交流を深め、ますます山野草の魅力にとりつかれてしまいました。そして、山野草を育てることの楽しさ、むずかしさを学んでいます。野山に咲く草花は、野山にあってこそ美しいものです。シラネアオイは山どりして環境の違う低地や市街地に移植しても、数年もすると次第に小さくなり、やがて消えてしまいます。無用な失敗を繰り返し、自然を破壊するようなことはお互いに慎みたいものです。
八石山の稀少植物、シラネアオイやサンカヨウを何とか増やし、山に返してやりたいと考えている折、鹿沼自然盆栽公園で実生から育苗に成功している圃場を見学する機会を得ました。移植を嫌う山野草も、タネから育てると、環境が違っても、その土地に順応して、強健な苗に育つということがわかりました。さっそく八石山からタネをとり、蒔いてみました。花をつけるまでには数年かかりましたが、みごとに育ち、株数も多くなりました。自分で蒔いた山野草に花が咲いたときの喜びは格別のものが有ります。平成4年に「長岡雪国植物園」に約200株、八石山に約200株のシラネアオイを植えこむことができました。平成5年、6年と確かな活着をしたものが山で開花しています。まだ自宅には毎年実生によって育ったシラネアオイ、サンカヨウ、等山に帰る日を待っています。
これを機会に、八王子に残してきた土地を活用して、八石山特有の山野草の育苗の圃場場作りと、シラネアオイの開花期に鑑賞する場の整備をしたいと考えています。
過日、「小国芸術村友の会の発行の(へんなか)特集 八石山」が手に入りました。その中で、”花の山、八石山”と語られていること、岩野俊逸先生が”わが八石山”で特にシラネアオイとサンカヨウをとりあげ、環境の変化に弱い植物の自生地保存について提言されており、わたくしどもの手がけていることが、その一助になればと興味深く読ませていただきました。
旧八王子校校歌に、”山紫明けに行けば・・・・・”と歌われ、校旗、校章のデザインもシラネアオイからとり入れられてあります。シラネアオイは、”八石ぼたん”と呼ばれ、八石山の貴重な財産として、そこに済む人々の心の中にずーっと生き続けてきたのではないでしょうか。願わくば、地元の方々の力をお借りして、八石山の植物を、そして美しい自然を後世に残す手だてをしていきたいと念じています。
故郷の自然に少しでもお役に立てれば幸いに思います。
平成6年5月 長岡市在住 中村 穆
(中村様のご好意により掲載) *注 八石ぼたん鑑賞会以外は施錠で見ることが出来ません
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