石油の歴史は縄文時代中期〜晩期の遺跡では土器の補修にアスファルトが使われているのが発見されている。 「日本書記」には越の国から「燃える水」が献上されたと記してある。更に12世紀頃に石油は「草生水(くそうず)」と呼ばれ16世紀後半(天亀.天正年間)には越後で生業として石油の採掘が始められ明治時代にはランプが普及し石油の自給な為の生産が活発になった。
新津油田は明治から大正にかけて日本一の産油量を誇りました。金津地区には石油採掘に使われた文化遺産が多く残ってます。周辺の丘陵には豊かな自然が広がり,全国的もまれな「石油の里公園」として学びと憩いの場と成っている。(「石油の世界館」友の会 資料より)
新津の地に私の実家が有る、SLばんえつ物語号を保存、手入れして来た第一小学校の卒業で有る。当時の遠足はまさに字の如し砂利道を遠くに歩い て行った。万願寺や秋葉山、護摩堂山、菩提樹山(金津山と呼んだ様だ?)に行った事の記憶が今回の参加で蘇る、金津に近づくと油の匂いと山の彼方此方に無 数のワイヤ−、背丈の倍位で案山子の様な物がギ〜コギ〜コと動いてた記憶が有る、この山は新津の誇る石油王中野様の持ち山で有る事を勉強した。
又 鉄道の 町である新津は複数の鉄路が有り登下校友人と踏み切りで長い貨車を数えっこした、「油」と書かれたタンク車が多かった様に思う。今では金津は「石油の
里」、全国的に石油王「中野貫一翁」が造った広大な「もみじ園」が有名で秋の賑わいは大である。
主催新潟市*主管「石油の世界館友の会」の石油に関する講演会&野外見学会に参加する機会があり 約1時間半の心地良い汗を流して「石油の遺産めぐり」をして来た。
2007.5.10*新津油田跡が地質学的観点から「日本の地質百選」(日本の地質百選選定委員会認定)
2007.11.30金津油田の産業遺産が日本の近代化産業に於ける歴史的な意義から「近代化産業遺産郡」(新潟など関東甲信越で始まった我が国近代石油産業の歩みを物語る近代化産業遺跡郡) が決まり「石油の世界館」友の会の活動の成果で有ると感じた。会員の話に依ると外国の関係者が遺跡郡を見て、特に今でも油の滲む地層がが見える事
に叫喚するとかくゆう私も中野邸のお庭、もみじ園に目が行き「貫一翁」業績の大切な物を見落とす事であった、是非おにぎりを持ち「石油館」で歴史を学び
「ロマンの散歩道(堀出神社、白玉の滝、菩提樹山、)」をゆっくりと散策をお勧めしたい。 撮影者
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