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2009.05.20 撮影 STAFF fuji
新発田市街地を抜け赤谷に向う西会津街道から少し入った米倉集落に新発田組大庄屋旧斉藤家が有ります。旧斉藤家は斉藤実盛(1111年〜1183年。越後生まれ武蔵に移り ”源為義””源義朝(為義の長男で頼朝、義経の父)に従い保元、平治の乱で活躍した豪傑)”の子孫。慶長3年(410年前)新発田藩主として溝口氏が入封後も厚く遇され、初代斉藤左馬之助は新発田組の大庄屋に任じられました。大庄屋の屋敷構えの一部とかんがえられるこの建物は旧新発田藩内に現存する唯一の物。建てられた当初(江戸時代と想定、築280年以上)は藩主が休息等に立ち寄った時にもてなす書院として使われてた様で有る。庭園は五十公野御茶屋と同じく幕府お庭方で有った懸 宗知(江戸時代の茶人)によって作庭されたと記録が有る。特徴は庭園内を巡る飛び石道と集中的に施された組石、庭園の中心を穏やかに通る用水を利用した流れです。庭には殿様の駕篭を置く専用の場所があります、ここで草履を履き”主は居るか!”と聞こえそうです。又 良寛が立ち寄った際、感懐を賦したといわれる漢詩が一服掛けて有ります(複写)。現在は農村と都市との交流施設 *有機の里交流センタ−として活用され会議、研修、実習等に広く格安に利用されてます。近くには東北民藝館もあり古き時代を探索するにはとても良い環境です。 |
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新発田組大庄屋旧斉藤家