何処でも祭りの準備、後始末にはかなりの時間を要すが、此処”野沢温泉 道祖神祭り”は社殿の燃えた火の始末に一週間もかかるのだそうだ。
スキ−場と湯が豊富で各所に無料の外湯が楽しめる温泉地です。又、信仰の村でも有り村の入口や分岐点に道祖神が祀られている。
古来 道祖神は「悪霊侵入を防ぎ、旅人の安泰を守る神」と崇められている。 男神様の”やちまたひこのかみ”女神様”やちまたひめのかみ”は容姿がとても醜く婿にも行けず嫁の貰い手も無かったが何時しか二人の神が出会い目出度く結ばれ男子をもうけたとの古事がある。この事から道祖神は良縁安産、子宝の神、子育ての神として信仰されている。
この祭りには何度か訪れているがこの今回は違う角度からの撮影をさせて戴いた。松之山の”むこ投げ、すみ塗り”の撮影を終え野沢温泉村に向う道路は凍結部分も有り慎重に運転する。村入り口には大きな新しい道祖神が優しい顔で出迎えてくれた。早速会場に向うと聞きなれた歌が聞こえてきた”め〜でたく た〜てた、、、、、いの〜ちあ〜るなら らいねんも〜”とこの社殿と言われるものは前年の秋に切り倒された大木は祭り前々日13日に山から25歳組と42歳組が二手に分かれ三時間かけて温泉街を通り会場迄運ぶとゆう。沿道の家々からはお神酒が奉納され其の都度男衆は祝儀を披露し手締めをするのだそうだ。この木で三体の道祖神が作られ火元の家、会場、村の辻に祀られる。
この他の神木は手作業で厳冬の夜を徹っして祭り当日午前中迄に神殿を完成させるのである。重機や釘等一切使わず正に宮大工の技ではと見上げる。この社殿が炎上する迫力に魅せられて来るのである。完成まで危険作業が続くので一切の酒をも絶ってるのだそうだ。出来上がった見事な社殿をみて美酒に酔いしれていた所でしたね。誇らしげな顔がで皆の顔がそこに有りました。其の足で代々この由緒ある”火祭り”の火元を務める”民宿 湯沢”さんにお邪魔する既に大勢のマスコミが待機している。床の間には道祖神が祀られ脇には大松明(麻萱)と繭飾りが小正月を表してる。やがて7時頃に蓑、笠、藁沓を纏った男衆が”火を貰いに来ました”と告げ藁沓を履いたまま座敷に上がり酒盛りが始まるのです。画像の様に何とご飯茶碗の大きさの盃です、大徳利が直ぐに空に!兎に角豪快に飲む?飲まされる?いやいや宿の酒を全部飲み干さないと行事が進まないのだと隣の地元の方、私にも勧められたが取材に支障がと丁重にお断りさせて貰った。男衆はグイグイと飲むわ飲むわ!飲む人有れば又唄う人も有る、あの心地よい”め〜でたくた〜てた、、、、い〜のち あ〜るなら、ら〜いねんも〜”が声を嗄らして唄います。突然花火が上がり、家に太鼓の音が響き神事の始まりです、大松明が囲炉裏にかざされ神聖な行事です、絶対にストロボ撮影は禁止の達しがでる。部屋の電気が消され暗闇の中で神官が”カチカチ”火打石を擦る音がした、真暗の中、囲炉裏の明かりを確認して一回だけ目をつぶりシヤッター押した。神官の手には仄かな灯りが見える、そ〜と囲炉裏にかざす、大松明に点いた瞬間”も〜う〜も〜う〜”と白煙と同時に真っ赤な火が勢い良く燃えた!スワッ部屋が大惨事と思った瞬間男衆が一気に庭に運び出す、庭では赤々と燃える松明を囲み興奮している男衆もいる、迫力ものです。藁くつで座敷に上がったはこの為でした。提灯の先導でこの松明をかつぎ社殿の有る会場までの行進です、狭い雪道を大勢で歩くので遅遅として進みません。やがて神殿の有る会場に着き”ボヤ”と呼ばれる焚き木に点火し神殿への攻防戦が始まります。会場には既に三基の燈籠が紅い笠に灯が入り下には沢山の書初めが吊りさげられて到着していた。
日本各地には大小多くの火祭りが有る「松明あかし 須賀川」「向田の火祭り 能登島」「お松明 京都」「鬼すべ 福岡」「那智の火祭り」「鞍馬の火祭り」「道祖神火祭り 野沢温泉村」等が有名です。此処野沢温泉村の道祖神火祭りの起源は定かでない、当地に有る碑には天保十巳亥年(1839年)と彫られてる事から江戸中期には盛んで有った事わかる、300年の歴史が有るとの口伝もと聞かせて戴いた。日本三大火祭りとされる所以である。五穀豊穣、家内安全、無病息災、良縁安産を願う祭りで有ると。平成六年五月に文化庁から「国の重要無形民俗文化財」に指定。
此処で少し社殿と燈籠についての解説を。社殿は前提の様に造られたもので下では25歳の厄年男が社殿上には42歳の厄年男が村人からの松明攻撃を守る役割です18Mの高さ、社殿上には42歳厄年40人程乗る広さがあると。燈籠は前年に生まれた子ども家が奉納します、9Mの長さの木に笠鉾がその下には親戚知人友人からのメッセ−ジが書かれた書初めが数え切れない程吊り下げられて玄関前に展示して置くのだそ〜な。当日は其々分解して小松明に先導され会場迄あの”め〜でたく た〜てた”道祖神の唄をみんなで歌いながら運ぶのです。燈籠は最後に社殿の炎上と共に燃やし子の将来の安泰を祈るのだ道々聞きました。下世話な話に成るが1基百万だそ〜ですよ。盛期では8基の賑やかさが有ったそうです、何処の地も少子化ですね。
さて之から社殿に火点ける村人と25歳、42歳厄年の衆約60人との攻防戦が始まります。”はよ〜ひ〜もってこい”と社殿の衆は囃し立てます、子供達は”ボヤ”に松明をかざし火を点け父親に肩車されたり抱かれたり手助けされて社殿に勇敢に挑みます、子供ながら頼もしく見えました。社殿下25歳衆達は子供と云えど火を点けられてはと必死に守ります、火の粉が飛び迫力満点。やがて大人の攻防戦が始まる、いやはや恐ろしい位の迫力です社殿に火を点けてやろうと気迫の村人衆、点けられて溜るかと松の枝で叩き消す25歳男衆、其の度火の粉が舞い上がる更に又次の松明が波の如く押し寄せる守備側は自らの身を挺して燃え盛る松明を食い止める怒涛の声が!松明攻撃が途切れるとすかさず”ひ〜もってこい”と催促しす。社殿上の男衆は更に元気な声で”い〜のち、、、”と唄いながら松明が投げ落とします。其れを持ち”ボヤ”に走る繰り返す攻防。一時間以上の攻防戦が続くと火元の”ボヤ”は社殿の前迄押されて来てるのです、終演が近づきました。社殿上の42歳男衆は唄いながら下りてきます。やがて手打ちの後、社殿に火が入ります。さて次の見せ場です、三基の燈籠を順に燃え盛る社殿に倒して燃やすのです風も有り燃え盛る火が目前で中々進みませんが見事に倒れ炎上しました。書初めが燃えながら舞い上がります、後の二基も続き倒します、会場からは燈籠の動きで”あ〜”わ〜”と歓声が上がります、多くの外国人も興奮で叫んでます言葉は解りません。すると18M位の高さの三本の神木を残して社殿が燃え落ちます。あの大きさで多重に組み合わせたものが轟音と共に火が火の粉が正に興奮の絶頂です夢中でシャッタ−を押してます。やがて興奮も治まり皆さん三々五々会場をあとにしました。駐車場からも未だ未だ赤々と燃えてます名残惜しいが私も会場を後にします。この火で明日子供達、村人は餅を焼き一年の無病息災を願いつつ食べるのだそうです。
そして冒頭に記した様に完全に火が消える迄25歳42歳厄年男衆は寝ずで厳冬の中で火の番をするのだと、其れが”一週間位ですかね〜”と古老は話してくれました。私が暖かい部屋で原稿書いて要る今も彼等は火を守っているんですね、本当にご苦労様です。
長文になりましたがお許しを。 取材に関して「野沢組惣代」様「42歳厄年 翔穂会」様「野沢温泉村役場商工観光課」様には一方ならぬ御配慮戴き厚くお礼申し上げます”ありがとうございました感謝致しております。
”い〜のち あ〜るなら ら〜ねんも” 是非又御邪魔したいものです。 撮影記 FUJI。 |